季行分
2004年 (平成16年)  
KISO PhotoGallery (c)写真家 山口勝廣


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木曾語り三六五〇夜 2004年10月B
大型台風の連続上陸と新潟中越地震による甚大な被害、未だに続く余震の恐怖に被災地の人々の健康も気にかかる。今年色つきの良くない紅葉も開田ではカエデの素晴らしい秋色を見つけた。
木曽三大寺の一つ、萬松山興禅寺では本堂襖絵第三作「木曽の秋」完成記念の披露秋彩展や中国琵琶のコンサート、枯山水庭園での茶会、京都洛西「阿じろ」の精進料理に秋の香り馥郁として

木曾語り三六五〇夜 2004年10月
日本列島上陸9個目という記録と最大風速62メートルを超える記録
を作り、今年最大最強の22号台風が
御嶽の紅葉を吹き飛ばしてしまった。
木曽福島町では「8回関所祭り」が開かれ、時代扮装に身を包んだ山村代官江戸出府行列が駅から関所を行進し街中では「関所改め」の寸劇が観光客を楽しませ江戸の情緒、雰囲気が町全体に溢れる。

木曾語り三六五〇夜 2004年9月
強大で猛烈な台風18号が長崎に上陸、日本海を列島に沿って北上。
船舶の沈没や家屋の倒壊、人名の犠牲など各地に大きな被害を残してゆく中、上松町諏訪神社例祭が開かれる。
前夜祭として八幡宮では伝統の地歌舞伎・獅子狂言「芸ざらい」が演じられ雨よけのシートの張られた境内は観客で埋め尽くされた。
夜のお練も提灯の明かりが揺れ動き祭り情緒が町を包み込む。

木曾語り三六五〇夜 2004年8月
王滝村木曽御嶽八海山において御嶽教大御神火祭が挙行され、百万本の斎木は御嶽の漆黒の闇を紅蓮の炎に包み信徒の深い祈りが奉げられた。
白装束の御嶽講社信徒の人々は先達に引率され夏山登拝に早朝から剣が峰を目指し、六根清浄を唱えながら出発する。新滝清滝では流れ落ちる滝に飛沫を上げ、一身に祈りを奉げる敬虔な姿を見る。

木曾語り三六五〇夜 2004年7月
夏祭り、木曽路が一年で最も活気づく季節がやってきた。上松町寝覚大宮神社、荻原の鹿島香取神社、大桑村須原鹿島神社、木曽福島の水無神社など、笛や太鼓の囃子に乗って神輿や神楽が練り歩き、夜には伝統の獅子狂言や地歌舞伎が演じられる。子供たちは太鼓を叩きヨサコイソーランを舞い、ギッチョンギッチョンと長持ち行列が宿場を行く。

木曾語り三六五〇夜 2004年6月
木曽上松徳原の小高い山を登りつめると駒ケ岳神社里宮がある。
夏の登山シーズンを前にして、上松町観光協会は木曽駒ヶ岳連山への登山者のために安全祈願を行う。この開山式には一子相伝として伝承されてきた国選択無形民俗文化財の「太太神楽」が三座奉納された。
激しく厳しい飛翔の舞また、ゆったりと優雅で静なる舞が木曽路に夏を招く。

木曾語り三六五〇夜 2004年5月
皐月の空に鯉が踊り、山々は一斉に芽吹きの時を迎え、雨に霞む木曽路の春がいよいよ到来。漆の郷平沢では七年に一度の「お柱祭」が開催され、木遣りが山や谷に木魂する。
上松では伝承の小川若宮神社獅子狂言や駒ケ岳神社里宮では、山岳信仰に端を発する一子相伝の太太神楽がで演じられ、神々の降臨を窺うことができる思いを抱く。
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木曾語り三六五〇夜 2004年3月
弥生3月ともなると、木曽路も光の春を迎える。風はまだ冷たく冬の名残の身を射すような厳しい冷気に思わず身震いをし、襟元を合わせたりする。
この厳しい寒気の中で江戸期享保時代より伝承の田立和紙が漉かれる。木曽谷の寒気と水が良質の和紙を育ててきた。
低気圧の谷は突然春の吹雪となって、一瞬のうちに真冬の季節に逆戻りをさせた。

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木曾語り三六五〇夜 2004年1月
信仰の山、木曽御嶽山は海抜3067米の活火山であり剣が峰直下の噴火口からは今も白い蒸気が立ち上る。冬空に凛と屹立した姿に時空を超えて修験の昔を想いみる。
 木曽福島小学校の校庭では小正月行事のどんど焼きの煙が空高く舞い上がり子供たちの歓声と夢を乗せて次世代へと運んでゆく。
三の池から二の池、摩利子天から剣が峰へ、そして大宇宙へと・・・






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木曾語り三六五〇夜
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