季行分
2005年 (平成17年)  
KISO PhotoGallery (c)写真家 山口勝廣


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木曾語り三六五〇夜 2005年11月

山を走り下った紅葉前線があっという間に冷たい北風に変わり、厳しい冬の季節も間近に感じられる。
好天に恵まれた南木曽町妻籠では、文化文政風俗絵巻の行列が賑々しく宿場をめぐり、今年最後の木曽路のイベントが繰り広げられた。観光客やそれはそれは大勢のカメラマンに埋め尽くされた宿場は、足の踏み場もないほどの混雑で去り行く秋への思いも一入の一日でした。


木曾語り三六五〇夜 2005年10月

木曽路の秋が深まり、南木曽町田立で365本の花に飾られた三頭の木曽馬が五宮神社まで行進。境内を三周すると氏子や観光客が一斉に花を奪い合う。
豊作、家内安全など所願成就のお祭りである。夜には伝統の田立歌舞伎(町指定無形民俗文化財)が太棹と浄瑠璃の語りで「一谷嫩軍記熊谷陣屋の段」が演じられ、村人の喝采を受けて秋の夜の一時が過ぎていった。


木曾語り三六五〇夜 2005年8月

5年生の孫と木曾の御嶽山に初登山。午前4時、田の原大黒天に安全登山を祈願し出発。平らな道から階段状に、やがて樹林帯をぬけガレ場の続く尾根道に。軽口を叩いていたのが無口になり、呼吸が苦しそう。足は進まず弱音が出始める。少年サッカーを続けていても、平らなグランドとガレ場の山道では足の筋肉の使い方も違うのであろう。朝食も摂れず、軽い高山病。


木曾語り三六五〇夜 2005年7月
木曽路夏真っ盛り、風に乗って神楽囃子が聞こえてくる。寝覚では伝統の地歌舞伎「芸ざらい」が演じられ悪魔祓いの獅子舞がゆく。野尻では優雅な宮歌が響き、夏祭りは北から南に移ってゆく。
真っ青な空に白い雲、平成の大合併によって行政区分が大きく変わっても、悠久なる自然の歩みの中、ここ木曽谷は変わることなく時が流れてゆく。

木曾語り三六五〇夜 2005年6月
二十年に一度、伊勢神宮御正殿建て直しの式年遷宮が行われる。
西暦685年、天武天皇に定まり、690年、持統天皇時代に第一回の式年遷宮。今年62回目。木曽谷から御神木が出るようになったのは江戸時代、檜を伐り出す御杣始祭(みそまはじめさい)は22回目であるという。
天照皇大神宮、豊受大神宮のご神木として樹齢300年を越える檜は「御木引き」行事として大勢の人々によって上松の町を廻る。
               
木曾語り三六五〇夜 2005年5月
五月、山の木々は淡淡とした新緑から深緑にとグラデーションも目に優しく、和らいだ空気に包まれる。御嶽講社の人々は先達に導かれ、八十八夜の祈りを奉げ、お座が立てられる。小川若宮神社での≪葛の葉≫や駒ケ岳神社の国選択無形文化財指定の太太神楽がたてられる。峰を越えた南木曽町与川の白山神社では、春の例祭の悪魔祓いの獅子が舞う。

木曾語り三六五〇夜 2005年4月
四月に入って木曽谷は一気に春の気配が増し始めた。山の木々も冷く厳しい冬を越し、一斉に新芽の季節を向かえて、日に日に若緑の装いを整えてゆく。
陽あたりの中、雪割草の黄色が目に入ると残雪の草つきからは蕗のとうの緑が鮮やかに、山野草も競って顔を出す。やがて野も山も谷のせせらぎも、ありとあらゆる所で生命の息吹に包まれる。

木曾語り三六五〇夜 2005年1月
平成の大合併は此処木曽の地にも大きな変革をもたらした。
楢川村の贄川、平沢、奈良井等は塩尻市と、島崎藤村の生誕地馬籠をを含む山口村は、隣県の岐阜県中津川市と合併し、秋には、開田、三岳、木曽福島、日義の各地は木曽市として統一されることとなった。
この行政区分の大改革が木曽の地にどのような形で定着するのか、気がかりである。

             


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木曾語り三六五〇夜
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